Monday, August 8, 2016

気持ちの整理(三)

週末に東北地区民間教育研究団体の誘いで、ふらっとの活動を話しに行きました。開催場所は男鹿で、二日間7時間の充実のディスカッション、不登校・ひきこもりの悩み、親の悩み、教育のあり方、先生の葛藤... 始めて日本の先生たちとふれあいことが出来ました。皆本音で語っていて、真剣に自分と向き合って、子どものこころを考えて、先生の立場の同時親の立場もあった。全て終わったら午後3時半。男鹿の海を見に行った。午後4時、暑い、海水が温かい。海を眺めながら、複雑の気持ちを整理する上に整頓。


ディスカッションのテーブルで、形だけでも不登校気味の学生を学校に通う続けることを必死に頑張っている事例があった、「なぜ?」と聞いたら、学生が普通のことが出来ないと不安と感じる。「学生は学校に行くのは普通だ」というニュアンスかな?そうか。。。と今まで出会ったひきこもりの人たちのことを一人ひとりのストーリーを考えてみた。彼たちにとっては、学校に行くことをどういうことだろう?また、何かが「普通」、何かが「一般」、何かをこだわっていたんだろう?こうやって、「普通」「一般」の意味合いは私の頭にぐるぐるしていた。



同じ部屋で泊まった東京から秋田に帰省して退職した先生といろいろ話した。秋田の学生は小学生でもあまり良い子過ぎでびっくりしました。ストーリーの面白いところは学生がけけけと楽しく笑ったこともない、礼儀正しく座っているだけで、2時間の朗読会を過ごしたという話だった。担任の先生は朗読会が終わったら、学生をほめた。「今日も良くできました!」と。ふるさとに帰ってきた先生がそれでびっくりした。これは秋田の教育ですかね?ずれることを許せない教育?その話をしてくれたとき、その先生の残念・怖い・悲しい気持ちを察した。
続けて、この話も教えてくれた。
日本に有名なテレビ番組の金八先生のストーリーは実はある先生の基づいて作ったそうです。その先生はつい最近なくなったそうです。その先生がそう言った、
「中学生はお互い迷惑をかけながら成長していく時期だ!」
それを許せない教育は子供はどうなるんだろう。
そこはまた、その先生の惜しい・心に痛む気持ちを察した。
「私の学生時代はそうではなかったんだ。」
                   
                                  




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